貴方が消えたその日から  2



  蜀軍の大敗。
  傷つき、体を引きずるようにして軍は逃げていた。

  劉備はうちとられ、諸葛亮は兵を逃がすことが手一杯。
  追撃されれば間違いなく、軍は壊滅する。

「………!」

  趙雲はを捜す。
  だが見つからない。

  劉備の側にいた。それがどういうことか。

「諸葛亮殿ー!」
「!馬超殿………」
「あの山の向こうに陣を確保した……。急ぎ兵を」
「すみません。………呉軍が追って来ない所をみると、我らを壊滅する気はないようですね」
「ああ……。?趙雲殿?」
「……………」
「すまない、を知らないか?」
「い、いえ……」

  誰も知らない彼女の居場所。

「……………」

  体から血の気がひいていく。
  まさか………まさか。

「趙雲殿、今は……」
「……はい……」

  諸葛亮に促され、趙雲は兵を引き連れていく。
  今は安全を確保しなければいけない。
  そして落ち着いたのは日がどっぷり暮れたときだった。

  趙雲は陣の中を探し回った。
  会えるという淡い期待は、一人一人の話しをきくうちに消えていく。
  待てど待てど彼女の姿は見えない。
  いつもなら報告に来る彼女が。

「ち、趙雲様……」
「?どうした?」

  一人の兵が何か袋を抱えてやってきた。

「こ、これ……が……」
「?」

  袋を受け取った。重たい。

「私どもは八陣内にいて、呉兵におわれておりました。いちかばちか、崖よりとびおりた時……これが……」

  兵の声がふるえる。
  趙雲は恐る恐る袋を開けた。

  中には砕けた鎧と血の染み込んだ服が。
  見覚えのあるそれ。

「?」
「様は殿を守るため、一人陸遜に戦いを挑み、帰りませんでした」
「………………」

  そんなわけがない。は………また……。

  手がふるえる。
  後悔が頭の中を掻き回していく。

「趙雲様………」
「………ああ……いや、さがっていい……」
「………は……」

  兵は一礼し、さがっていく。
  趙雲は袋を握りしめた。

  ああ、もう会えないのか………。
  私があの時、殿を止めていればこんなことにならなかったのか。

  大事なものを失った。
  失って、こんなに虚しくなる。
  何を恨めばいいのか。つぐなえばいいのか。

「趙雲殿、どうした」
「……………」
「?何だ?袋?」

  馬超は趙雲の持つ袋を見た。
  中には血のついた衣服が。

「この服は………」
「…………私は……今更、馬超殿が言っていた意味がわかりました……」
「?何の話だ?」
「痛みは自分に返ってくる……」
「……………」
「義のない戦は……犠牲だけでした……」
「後悔か」
「………大事なものを失って、思い知りました……」

  馬超は趙雲を見た。
  この袋のなかみが関係しているのだろう。

「………私は……大切にすべきものを……間違えていたようです」

  馬超は苦い顔をする。
  彼は自分を責め続けるだろう。
  それはこれからの趙雲に重くのしかかっていく。

  次の日、呉の使いの者がやってきた。
  それは和睦をすすめる文だった。
  この状態で断れるわけもなかった。

  諸葛亮は趙雲を護衛に呉の陣へ向かった。

「では我らと手を組んで下さるのですね」
「はい」

  諸葛亮は表情を変えず、陸遜を見た。
  陸遜は苦笑する。
  警戒されているのはわかっている。すぐには信じられないのも無理はない。

「安心し、兵をひいてください。我らは追撃はしません」
「はい………」
「また我らに手をかしてほしい。これからの平和の世のために」

  平和な……世……。

  脳裏にの顔がうかぶ。
  寂しそうな笑顔。

  そして話し合いが終わった頃。

「陸遜様、医者が話しがあると」
「はい。わかりました。私はこれで」

  陸遜は一礼し、さがっていく。
  孫権は苦笑した。

「諸葛亮殿、私も馬を……」
「はい」

 趙雲も部屋をあとにした。
 その背中を見送り、孫権は口をひらいた。

「すまない。戦で娘を一人見つけてな……。その世話をしているらしい」
「娘、ですか」
「ああ、どうやら先の戦で襲われたようだ。服をはがれ、傷ついていた」
「……………」
「……私はそういうものをなくしていきたい。皆の力があれば、それを無くすことができるはずだ」

  孫権も劉備と同じ物を求めている。
  それが潰しあう結果になってしまった。
  尚香も劉備が倒れたときいて、どんな顔をするか。



「傷は酷いです。今は熱もでていますが、このまま治療を続ければ、何とかなりましょう」
「……そうですか」
「ですが、身分のわからぬ娘などおいておくと……」

  いい顔をされない。
  それは予想していた。

「……………」
「陸遜殿?」
「いえ、彼女の回復をお願いします」

  陸遜は部屋からでると、懐にしまっていた腕輪をとりだす。

  大切なものだろうから、捨てられなかった。

「……ん?」
「ああ、お目覚めですか?」
「わ、たし……」

  は目を覚まし、起き上がる。
  陸遜が部屋に戻って来た。

「!」

  は陸遜を見て驚く。

「私がみています。さがっていてください」
「かしこまりました。薬湯はそこに」
「……………」

  医者は出ていく。
  二人きりになったのを確かめ、陸遜は薬湯をつぎ、に渡す。

「わ、たし……は……」
「貴方は私と崖からおちたんですよ」
「……………」

  頭の中が混乱するばかりだ。
  何故、自分は助けられたのか、戦の結果は趙雲は?

「飲んでください」
「………趙雲さ、ま……は……」
「え?」
「蜀は………殿は……」

  陸遜は黙ったが、口をひらく。

「劉備殿は討ち取られました。蜀軍は夷陵の地から離れています」
「!!」

  は間をいれず立ち上がろうとする。
  だが動ける状態ではなかった。
  自覚できず、そのまま床に倒れこむ。

「わ、たし……は……」
「………落ち着いて下さい。貴方は今、捕虜も同然です」
「……………」
「我々は蜀に対し、和平を持ち掛けています……。
貴方にはそのために蜀に語りかけてほしいのです」

  陸遜はそういって、の肩に手をのせた。
  そして抱え上げると、寝台に戻した。
 この小さな空間から当分でることはできなかった。








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